義理人情

 義理人情も、かたくなゝ一人よがりになつてはいけませんが、この世の中をほんたうに住みよくし、人と人とが心から信じ合へるやうになるのは、この理窟を越えた義理人情が大きな力となるものだと私は信ずるのであります。これまた、殺風景な日常の生活にうるほひあらしめる要素であります。 さてそれなら、生活にうるほひを与へるにはどうすればいゝかといふことになりますが、今まで繰り返していひましたやうに、こゝに生活といふものがあつて、それに、外《ほか》からうるほひになるやうなものを与へていくといふやうな考へ方ではいけないと思ひます。生活にうるほひがなければならぬといふことは、生活する人その人自身の心に、すでにうるほひがなければならぬといふことを意味するのであります。 例へばこゝに、親子三人のつゝましい家庭があるとします。戦時下の不自由がちな生活は、この家庭も他の家庭と違ひありません。ところが、この家庭の生活には、ほかの家庭に見られないうるほひがあるとします。そのうるほひは、勿論三人の家族の各々が作り出すものでありますけれども、それを生活のうるほひとして感じることがまた大切なのでありまして、若しかういふ生活に興味をもたない他人が見たなら、それは全く平凡な、退屈な、殺風景でさへもある生活と見誤まるかも知れないのであります。さういふ生活をうたつた詩がありますから、それを、こゝで披露いたします。この詩は尾崎喜八さんの作で、「此の糧《かて》」と題したものであります。

[#ここから2字下げ]芋なり。薩摩芋なり。その形|紡錘《つむ》に似て皮の色、紅《べに》なるを紅赤《べにあか》とし、形《かたち》やや短かくして紅の色ほのぼのたるを鹿児島とす。

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